Profile
Search this site.
アクセス数
アクセスカウンター
MOBILE
qrcode
Others
<< 758 | main | 761 >>
759

座頭の役
この所、今月の「寿曽我対面」の工藤左衛門祐経とか
来月の「祇園祭礼信仰記」の松永大膳久秀とか
また、再来月の「菅原伝授手習鑑」の舎人松王丸とか
重い役ばかり勤めさせて貰う事が多いが、こうした役々を演じてつくづく感じる事は、座頭役の難しさと云う事
僕の様な立役を専門とする歌舞伎役者にとって、究極の目的の一つは
そう云う役を演って舞台を締める事が出来る様な役者になる事だと思う
逆に言えば、座頭役を演って誰でも納得させてしまう様でなければ、立役として取るに足らないと云う事だ
僕が今、演れば「あそこの台詞がどうの」、「あそこの見得が下手」とか、色々な非難が勿論、有る事だろう
しかし、それはつまり、僕がまだまだ若輩だからであって、これが本当に座頭の貫禄を身に付けている人であったら、その様な非難は生まれて来ないだろう
生死問わず、真実の貫目、包容力を持った先達の錚々たる座頭役者の方々を御覧なさい
誰も彼も、少しばかりの何かをもしも感じたとした所で、そんな粗は取り上げる余裕さえ無くて、立派さの前に圧倒されてしまうではないか
流石の御大層な批評家先生御連中でさえも、何も言えない
役者の大きさと云う物は、年を取らなければ出来る物ではない
これは家の曾祖父、七代目松本幸四郎程の、名優と讃えられた役者と云えども当然言える事の様だ
曾祖父は先ず、立派な柄を持っていた事に定評が有る
若い時からいい男だったと言われているが、役者として本当に立派ないい顔になったのは五十歳から六十歳になっての事だったそうだ
磨きに磨きを重ねて行った結果、五十歳過ぎてから、より、あの様な美しさが生まれて来たのだろう
しかし、年を取れば自然に役者が大きくなると云う様な事は言えない
曾祖父は常に言っていたそうだけれど
大きさと云う事を考えないと、年を取ってからとんでもない結果になるらしい
若い内は身体が利くからいい
どんなにでも動き回れるが
さて、年を取ってから座頭の役を演って、若い人達の抑えになる事が出来なくなったら、立役として、これ程悲惨な事はあるまい
だからこそ僕としてはこう云う時に備えて、どんどん役にぶつかって行って、これを身に付ける気持ちで一杯だ
座頭役は大きな存在感を与えねばならぬ
然らば、どうすればそんな感じが出るかと云うとこれが問題になる
身体が大きいからと云って役者が大きいとは限らない
現に、評判だった祖父の歌舞伎十八番の内「勧進帳」の武蔵坊弁慶よりも一層、曾祖父の弁慶は立派だったと言われているけれど
実際の身長は曾祖父よりも祖父の方が五寸以上も高いのだ

僕からしてみれば、どちらかに優劣なんて、無礼極まりなくて付けられない、両方共に雲の上の存在だけれどもね
九代目市川團十郎さんと云う人は実に背の低い小さな方だったそうな
ところが、例えば、歌舞伎十八番の内「暫」の、あの鎌倉権五郎景政の写真等を御覧なさい
元禄見得の立派さと来たら、とても継ぎ足をしているなんて思えない
あの衣裳の中全体に、身が入っている様に思えるではないか
僕なんかでも是非ともあの様にと思って、足の開き方とか、手の位置とかを研究してみたのだが
やっぱり、こうした物は頭で考えただけではどうにもならないのだ
恐らく九代目團十郎さんと云う人は、それ程思い悩む事は無く、ただ身体に逆らわず、本能に従って見得をしただけで、あんな立派な形が生まれたのだろう
役者の大きさ等と云う物は、まさに、こうした技巧だけではどうにもならない物なのだろう
芸の道には限りが無いと云うのはこの事
九代目團十郎さん
曾祖父
祖父

先達
はてさて、上には上が有る物ではないか
考えた事はほぼ同じ意見だったので、遥か昔の祖父の取材に僕の言葉を織り混ぜてアレンジし、日記に記しておく

| - | 20:00 | - | - | このページのトップへ