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昨年十二月の歌舞伎座での公演中の事
或る日、終演後に共演していた市川中車さんが「ちょっと、楽屋に来てくれないか」と
何かと思って行ってみると、そこには、我が母校、中、高校の教師であったSさんの姿
確か、Sさんは英語の教師でヴァレーボール部の顧問だった気が
中車さんと僕は、学生時代の先輩後輩関係でもある

御存知の方も多いと思う

年が離れている(中車さんは中村松江さんと同級生)ので、学校では顔は合わしていないが
そんな関係で、Sさんが御家族と観に来られた上に楽屋に寄られたので、僕を呼んだと云う訳だ
Sさん、母校の教師と云うだけではなく、同級生の一人の御父上でもあらせられる
学生時代、教わった事が無かったので、付かず離れず、僕にしては割合と敵意無くニュートラルに顔を合わせられる、数少ない母校の教師だ
我が母校は幼、小、中、高と一貫校
幼稚園はさて置き、小学校一、二年の時の担任のE先生、美術のM先生位しか恩義を感じる先生は思い当たらない

別格は中、高の英語を受け持っていらしたTk先生

この先生は、音楽の趣味も合い、僕に限らず、生徒に寄り添ってくれた、あの学校には珍しい人格者だった
後は小学校三、四年の時の担任Tmさん、中、高の担任Yさん位か、遺恨に思っていないのは
小学校五、六年の担任Iの様に「餓鬼の癖に商売なんてしやがって」と、宣うて、最初っから差別して掛かる様な碌でもない教師、生徒が多かったからな
十数年後に、招いてもいないのに楽屋に突如、押し掛けて来て「御立派になられて」等と世辞られても、こちらとしちゃ、甚だ迷惑で帰って欲しいだけ

いや、書いていて改めて本当に疑問に感じたんだけど、どの面下げて来たんだろうね

まさか「あの時は御世話になり、感謝している」とでも言って貰えると思って、恩師のつもりで浮き浮き顔でやって来たのかね

だとしたら、何て目出度い老人なんだろうか

既に呆けていたのか

呆れて笑えもしないよ

そりゃ、最近になって傷害事件も起きるわ、あそこじゃね

昔っから同じ様な事が大なり小なり起きても、不思議な力で表沙汰になって来ないで済んでいた学校だもの

あの、加害者とされてしまった生徒も可哀想に

あんな屠殺場みたいな学校だけに、彼にも何かしらの理由が有ったろうに
と、長くなった
此処までは、前置き
さて、此処からが今日の本題
そんな糞みたいな学生時代だったが、幾つかは、後に指針になる事は学ばせて貰った
その先ず一つは「学校とは勉強よりも第一に、ルールと我慢、そして、妥協を学ぶ所」と云う事
教師、用務員、生徒、そして、父兄と
何百人、下手をすれば何千人規模の集団生活をする訳
相性の合う人間の方が少ないのは当然
膨大な人間の中から、自分に相性の合う人間、必要な人間を見極め、付き合い
それ以外の人間は心の内でキリスト
もとい、切り捨て
若しくは、心を蝕まれない、触り程度の関係を築ける人間になる為の修行
そこに学校は持って来いだ
何たって、世界中の何処を探したって、あんな蠱毒の壺みたいな場所は少ないだろうからね
自分なりに壺の中の最後の一匹に生き残る思案を図る
壺中から、共闘出来る虫、爬虫類、小動物達を探す
または、毒だらけの壺の中からどうやって逃げ出すか
それを考えるのにもいい試練場ではあると思う
僕は最後の一匹になる事を早々に諦めて、とっとと壺の外に逃げ出した口だがね
あのまま、思い煮詰まったまま、逃げ出さず学校生活を送っていたら、下手をしたら、僕も「自殺と云う道を選んではいなかった」との、断言は出来ない
抽象的になってしまったが、学校から出て、社会生活を送る様になったら、戦場にでも出ない限り、壺の中の毒は濃くはなるが、壺のサイズはぐっと小さくなる方が多い筈だ
だから「学生時代に蠱毒の壺の中の生活に慣れていると、学校を出て、行く行くは、あれ以上に苦痛な集団生活は無いから、あれを耐えられたのだから、今の方がまだまし」と云う思いに至れるのではないかと云う話
今、学校生活で、虐めやスクールカースト等の目に遭って自分を追い詰め、思い悩んでいる子供達が居るのだとしたら
在り来たりだけれど「逃げ出すのも勇気の有る一歩」だと云う事を
その決断も、自分から踏み出した大いなる一歩だと云う事を、思って欲しい
“逃げる”のは“負ける”事では無い

恥でも何でもないよ
“自分に合わないフィールドから自分で選んで立ち去る”と云うだけなのだから
うん、今日は長くなるな
さて、学校で学んだもう一つは
「自動的に学べるだけの必要な知恵や知識を手に入れるには、全く学校は手っ取り早くはある」って事
僕は確かに「歌舞伎に出演して学校に行けない」と云う大義名分を錦の御旗と言い訳にして
小、中、高時代と、全く勉強をして来なかった
歌舞伎と云う仕事上、日本史だけは多少は詳しかったけれど
その、自分の所為で、高校二年生の時、成績も足らず、出席日数も足らず、態度も悪く、揉め事も起こし
と、四拍子揃っての自主退学と相なった
野球で言えば、ホームラン王、打点王、首位打者に加えて、盗塁王まで獲得した様なオールマイティーさ

つまり、僕の最終学歴は、恥ずかしながら中卒
今となれば「退学じゃなく、表向き、良くこちらからの自主退学扱いになった物だ」と感心すらする
しかし、その代償には、学校を辞めた時点で、僕は何も物を知らなかった
だから、結局
学校で習う様な純文学や現代文学、古典文学、漢文学

日本史に世界史と、そう云う知識は後からの独学だった
小学校の社会の時間
日本地図を前にして
日本海の場所を問われ、瀬戸内海を指す位、脳味噌が腐っていた
K氏と云う社会の教師に「君、それでも日本人かい」と、笑われた
K氏、有難う
あの恥ずかしさの後、日本中を飛び回る仕事をしている御陰で、今じゃ四十七都道府県、行ってない所は無い
場所の配置も県庁所在地も完璧
国道まで恐らく、地理では貴方より詳しくなれたかも知れないよ
あの時、悔し紛れに意味も分からず「ありゃ、日教組だ」なんて陰口叩いてごめんね
もし、違っていたら今、伏して詫びを申し上げるよ

多分、当たっていたと思うけれど
また、話が横道に逸れたね
戻そう
と、結局、学校でやっときゃ良かった物を、辞めてから色々と自力でやったから、二度手間感は有った
英語、仏語を聞き取れても会話で返せないのは、全くあの頃の不勉強の祟り

「HowMuch」、「ILoveYou」、「JeT'aime」程度しか喋れない
これは実は、ちょっとしたコンプレックスではある
職業柄、理数系は全然必要としないけれど、今となっては数学や理科の授業中
「寝てばかりいずに、文系の教科書か、何か本でも読んでりゃ良かった、そうすれば、時間を無駄にはしなかったのに」との後悔は有るかな
中、高の現代国語のTm氏(小学校時に担任だったTmさんとは同姓だけれども別人物)と云う教師が授業中
「“若さ”は“馬鹿さ”だ」と言い放った事が有った
教室中、大ブーイングになったのを覚えている
クラスと行動を一にしていなかった僕も、いきなりの馬鹿呼ばわりに苛付いた記憶は有る
しかし、今、Tm氏が言った事、少しは理解出来ると思う
確かに“若さ”は無鉄砲
それは“馬鹿”に繋がる
「今、“若さ”で許される内に、自分で無鉄砲さを学んで、弁えて、秩序で雁字絡めにされる大人になる準備をしておけ、自分に必要な知恵と知識を選別しておけ、それは教師が教えられる物じゃない、自分で気付く物だ」
ね、Tm氏
そう云う事が伝えたかったのかな、貴方は
それとも、僕の解釈は三十年近く経った今でも間違えているのか
また、やはり現代国語教師のH氏が教壇の上に胡座をかきながら言ったのは「五月蝿い、今、お前達は何も分かっていない、自分では一丁前だと思っているんだろうが、まだまだ価値も意味も無い」と云う様な事だったと思う
これまた、今になり、やっと少しは意味が分かるかな
子供の内、世界が狭い
教師の言う事が絶対だ
しかし、教師も人間
完璧では無い上に、きっと、教えられる事だって限られるのだろう
それは我々、生徒だった者が「自分で気付かなければならない事」なのだろう
義務教育とは、ひょっとしたら“自分が人間として成立する為に気付かなければいけない事を自分から学ぶ、自分の義務”なのかも知れない
僕は今、そう思っている
心から尊敬出来た教師はさっきも書いたE先生、M先生、Tk先生の三人位だろうな

他の当時の教師と騙っていた者達はあまり記憶にも、眼中にも、興味も無い

だが
間違っても、黒板に書かれた問題を誤って答えただけで、いつも持ち歩いている、へし折れたバドミントンのラケットの先の尖った部分や、黒板用のコンパスや三角定規、分度器やらで脳天をフルスイングで感情に任せてぶん殴る、任天堂きってのヒーローの紛い物みたいな髭生やしていた数学のMだったかとか云う、今は九州に住まっているらしい男

これも多分、日教組だったんじゃないかな(ラケットはそう云う風に使う物では断じて無い、桃田賢斗選手達に土下座して謝れ、ついでに僕にも)や
体育教師St氏の倅で、二世教師の仏語を教えていた奴
授業開始と同時に、半笑いで近付いて来て、いきなり思いっ切りびんたくれたよな
今で言うマウンティング気取りだったんだろうな

こちらは子供だったから、そんな気持ちは毛頭分からなかったけれど、子供に舐められない様に、馬鹿にされない様に必死だったのかな

だとしたら、健気だよ

重畳、重畳
良く覚えてるよ
まさに、昨日どころか
一秒前の事の様にね

そんな手合い共から加えられた、“教育”と云う名を借りた教師達の欺瞞に満ちた自己満足の暴行を受け続けていた忌まわしい記憶が擦り切れる事は無い
当時は現在よりも学校内での暴力は黙認されていたとは言え
それを鑑みた上でも、有り得ない理不尽な暴力を振るう教師が我が母校には他にも随分と居た
小学校時代のシスター、H女史には良く「悔い改めなさい」と、良く引っ叩かれた
片方の頬を叩かれ、もう片方の頬を出す前に、間髪入れずにもう一発飛んで来た物だ

あれ、右頬の後、左の頬を差し出してから叩く物じゃないのかよ、カトリック様は

流石、幼児性的虐待のメッカ

キリスト教なのにメッカとは、これ如何に
嗚呼、主の施しに感謝

主は来ませり
尊き御魂に栄光在れ

諸人こぞりて唄いまくれ
「父なる神よ、聞き給え、苦き杯をこの手から取り給え」

「水をワインに変えてみるが良い、それが出来たら本物だ、やれよ、ユダヤのKing」

「出来る筈だよ、な、スーパースター、どうしてそんなになれたのか、私に見せてくれ、そこ等の奴と違う所」

「御釈迦様は御元気か、マホメットは山を本当に動かしたのか、あれは宣伝か、名高い貴方の磔刑は大見得切ったか、本心なのか」

「気を悪くしないでくれよ、考えを知りたいだけさ、ジーザス・クライスト、ジーザス・クライスト、誰だ、貴方は誰だ、ジーザス・クライスト、スーパースター、貴方は自分の事を聖書の通りと思うの」

また、中、高に居た宣教師
ではない、牧師
でもない、フランス人神父のB師には「悪魔の子よ」と、良く言われた
僕は「オーメン」シリーズのダミアン・ソーンか
それとも、父の事も知っている神父だったから、やはり学生時代に相当に悪かった父を“悪魔”と見立てて、僕を“悪魔の子”と称したのか
ならば「ナザレよ、お前が勝ったのか」

「お前も蝋人形にしてやろうか」

アレクサンド・アンデルセンみたいな、超好戦的な神父じゃなかったから、辛うじて命拾いしたよ

特務機関イスカリオテ、万歳
他にも英語担当のK氏は「お前、勉強出来ないんだから、歌舞伎なんか辞められないのか」との、御言葉を下さった

大きな御世話様だ、大馬鹿野郎
「なんか」とは何だよ、「なんか」とは
じゃ、手前、“教師なんか”辞められるのかよ
二択迫りやがったから、“学校なんか”の方を辞めてやったんだよ

K氏、その後、校長だか副校長だか、学園で相当の地位に行ったらしいじゃない
御目出度う
貴方と、僕に「お前なんかいつでも辞めさせてやれるんだぞ」と、餓鬼相手に大人気無くも、調子っ外れに高く訛って間の抜けた唸り声上げて凄んだ学年主任のT氏は当時から、本当に権力が好きだった物ね
確かに、大人になったら、その通りだった
「権力は大切だ、権力が無いと何も出来ない、だから、是が非でも手に入れて、しがみ付きたい」と云う熱望の重さを、貴方達の立ち居振舞いから、早い内に学ばせて貰えば良かった
「そう云う吝嗇な大人は小汚く、尊敬に値しない」と、今になってからの良き教訓だ
B師は、今になってみると、なかなか愛嬌とユーモアを感じて微笑ましいが、他に挙げたこう云う様な輩は絶対に人間に説く教師なんて稼業はしちゃいけない
三十年近く前の話でも、決して忘れてはいない
中でも特に二世仏語教師の砂糖

間違えた、Stだったね

君が忘れた所で僕は断じて忘れない
君にも一つ、大きな勉強をさせて貰った
大人だから、年長者だから、教師だから、皆が皆、敬服する訳では無い

存在すら許せない

大岡越前守風に言えば「八つ裂きにして余りある奴」と云う事
自分より年長で教師でもあった君の様に、学ぶ所が鐚一無い、卑小な者が存在するのだね
大人にも見下げ果てる者が居たんだね
君と出逢った時、初めて、そう云う人間を認識したよ
いや、心から有難う
もう、僕も分別弁えたからね、そりゃ
わざわざ、四十面ぶら下げて自分から探し出す事はしないけれど、何処かで偶然
もし、偶然にも遭遇した暁には、仮りは倍返しどころか、三十年近い分の利子を付けてきっちり、耳揃えてお返し申して差し上げても宜しくてよ、とは、未だに思わないではない、気もしないでもない

晦日に月の出る廓も闇が有るから覚えていた方がいい

精々、夜道には気を付ける事だ
なんてね

冗談だよ、冗談

冗談と思ってくれて構わない

本当に何かをしよう等とは更々思っていない

St本人の様に自分の損になる馬鹿な真似は決してしないので、安心して胸を撫で下ろしくれたまえよ

冗談はさて置いて、偶然にも何処かで御目に掛かり御挨拶出来る機会を「今か、今か」と、もう何年も何十年も楽しみに心待ちにしている
いやはや、詰まらない話を長々と御目汚し
イニシャルばかりで、星新一さんのショートショートみたいになってしまったけれど

御後が宜しい様で

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